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という問に対する芦田愛菜さんの発言が話題になっていました。
「その人のことを信じようと思います。
ということをよく言いますが
その人自身を信じているのではなく
自分が理想とするその人の人物像に
期待してしまっていることなのかなと思う。
だからこそ人は裏切られたとか期待していたのにとか言うけれど
その人が裏切ったとかそういうことではなくて
その人の見えない部分が見えただけであって
そういう部分が見えた時にそれもその人なんだと受け止められる
揺るがない自分がいるっていうのが人を信じることだと思った。」
要約するとこのような感じになります。
この発言は大変好評を得ています。
ただ、その考えが当て嵌るのは限定的な場合のみだと思います。
例えば、清純派アイドルのファンが
と信じているとします。
このような場合は信じることの根拠がなく
芦田愛菜さんのいうようにまさに
「自分の理想像に期待している。」ことになります。
なんの根拠もなく人を信じることって
実生活の中では稀な事なのではないでしょうか?
信じた相手はこれまでにこちらに伝えたいくつかの言動を
実現させるため、もしくは違えることがないように
当然に努力してくれるものと考えます。
このように信じることにある程度の根拠がある場合
その言動と真逆な選択をされた場合は
裏切られたということになるのではないでしょうか?
私はこれまで何度も何度も裏切られてきました。
そのように生きようと考えたくなる時が何度もありました。
しかし
と想像します。
そんな哀しい人生を生きるくらいなら
と考え生きています。
そのようなことを考えてから裏切られても凹んだりすることはなくなりました。
またか。
程度です。
裏切られるのは
私自身の不徳の致すところでもあると承知していますが
それでも自分で吐いた唾は飲まないでほしいものです。
これからも何度も裏切られるだろうと覚悟しています。
それでも私は信じたいと思います。
※裏切った人はもう二度と信じませんが
最近、残念な出来事がありましたが
私自身はこれまで通り
裏切られた!と相手に思わすような
言動は決してしないように
と改めて
心に固く決意した今日この頃であります。
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