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旧永山武四郎邸

旧永山武四郎邸

札幌の歴史を振り返る

事務所の所在地も札幌ですが
仕事のご依頼も札幌をメインに
動き回っております。

しかし、札幌をどれくらい知っているかと
聞かれても美味しいお店や有名な観光地を
ご紹介する程度でした。

先日知り合いとカフェに行ったのですが
そこは北海道指定有形文化財になっている
旧永山武四郎邸という過去の私邸に隣接されているカフェでした。

生クリームにきな粉がかかり
中にはわらび餅やグラノーラが入っている
美味しいパフェを食べてから
無料で中を見学させてもらいました。

明治・昭和
二つの時代を体感する空間

旧永山武四郎邸

明治時代前半期の北海道の
和洋折衷上流住宅史を考える上で
高い価値を有しています。
三菱合資会社の改修後は重役専用の宿泊や
札幌出張員事務所として使われました。

旧三菱鉱業寮

炭鉱経営、金属鉱業などを行っていた
三菱鉱業株式会社によって
昭和12年に建設されました。
丸窓や花台など昭和初期の
モダンな洋風デザインが見られます。
※こちらの一階部分が一部カフェとして
利用されていました。

永山武四郎ってどんな人?

私邸を持っていた永山武四郎ですが
鹿児島県出身です。
明治5年(1872年)9月から開拓使に移り
北海道開拓使八等出仕となります。
明治10年(1877年)4月に屯田兵第1大隊長に就任し
堀基大佐の指揮のもと、西南戦争に従軍。
戦争から帰還した後は
開拓少書記官・屯田事務局副長・屯田事務局長と累進し
階級は屯田兵大佐となりました。
1年間の欧米出張をへて明治21年(1888年)6月から北海道庁長官を兼ね
北海道庁長官は岩村通俊の後を受けたもので、永山は第2代です。
明治37年(1904年)議会出席の為上京中に倒れ、5月27日薨去しますが
死を悟っていた武四郎は親しい者たちに

「我が躯は北海道に埋めよ。必ずやかの地をロシアから守らん」

と述べたと言います。
この遺言により北海道札幌市に葬られました。
現役時代は屯田兵を掌握し軍部内では一大勢力でしたが
本人に政治的野心はなく、中央の政治抗争のためにその力を行使することはありませんでした。
終生北海道を案じ、その身を捧げた武人でした。
北海道は全国各地から来た移民、屯田兵のおかげで開拓されています。
北海道の歴史に残る偉人や活躍した人も出身は本州や四国等と様々です。
開拓から150年を過ぎても昔の方々の功績や足跡が
旧永山武四郎邸のように残っているのは
北海道の誇りでもあります。

私自身もっと札幌の歴史に触れて
遺品整理・生前整理の仕事に励みたいと思います。
成約にならなくても無料お見積りしていただけるだけでも光栄です。
札幌以外でも可能な限り飛び回りますので
ご依頼お待ちしております。

本日は以上です。

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